311の過ごし方

なぜこういう事になるのか、ずーっと考えていた。
いろんな人がいるんだ、いろんな感覚があるのだと、納得しようとした。
でも、どうしてこうなるのか、何が違うのか、ずっと考えていた。

多分、こういう言葉から察するに、
このアクションのスタートは「励まし」なのだろうと。
そう気づいたら、これは平行線なのだと、自分なりに納得した。

最初からスタンスが違うのだ。
この方たちは、被災地に向けて、311に励ましメッセージを送ろうとしているのだ。
動機も、思いも、それは心のこもったものなのだろう。


ただ、もうちょっと想像力を働かせて、現実の状況を見てもらいたい。
311は、傷ついた人にとって、励まされたい日なのだろうか。
励ますのは、違う日ではいけない?
この日に、誰が「がんばれ!」と言われたいのだろう。

そもそも、この震災で傷ついたのは、実際に被害にあった人だけなのだろうか。
日本中がどうしようもない思いに落とされ、みんながみんないろんな意味で傷ついたのではなかったか。
その傷のために、静かにうつむき、歯を食いしばり、悲しみに耐える日ではないのだろうか。

被災地を励まそう、と思っている人たちだって、
あの時、何もできない自分が苦しかったはず。
それは今も同じだろうけど、何かしたいから人を励ますのは本末転倒だと思う。

黙とうの時、よく現地や甲子園などでサイレンを鳴らす。
でもそのサイレンは、車のクラクションとは意味が全く違う。

デモなどの抗議行動なら、車のクラクションもフライパンも叫び声もアリでしょう。
でもこの日は、励ましでも抗議でもなく、
やっぱり、悲しみに耐える日だと、私は思う。

忘れていない!
がんばれ!
そう叫びたいなら、
車のクラクションを鳴らしたいなら、フライパンを叩きたいなら、
この日だけはどうか、民家の少ない国会議事堂前でお願いします。

静かに歯をくいしばって、悲しみに耐えている人のまわりで、
どうか騒がしくしないでいただきたい。
たとえそれが東北ではなくても、痛みを抱えているまわりの人たちのために。

どうかお願いします。
[PR]

by kabo518 | 2012-01-29 22:26 | 震災・支援