名前も知らない葡萄の木

やっと晴れた。
不通だった道路も通れるようになったので、東松島と石巻に行ってきた。
冬物衣類を届けたよ~♪ 送ってくれたみなさんありがとう!

途中、台風の影響で収穫間近の田んぼが水没しているのが見えた。
もうちょっとだったのに。残酷だ。
石巻では、道路すれすれに水がたまっている所がたくさんあり、
雨の最中は水が高かったのがはっきりとわかった。
仮設住宅すぐ横。
床上浸水しなくてほんとによかった。


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ネコハウス横にある、2つのビニールハウス。
ここももちろん津波にやられた。
中には葡萄の木が数本。
今年は海水に浸かったからダメだろうと思っていたら、ちゃんと実をつけた♪
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無農薬。
遠慮もなくその場で食べまくる。
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塩にやられちゃったのか、枯れた木も。
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ん?かぼちゃ(笑)
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蜘蛛
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魚の干物(あらら)
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車の下にもぐったニャンコ
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おみやげにダンボールいっぱい葡萄をもらってきたという(*^^)v
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名前がわからない葡萄。

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「まだ支援してるの?」
「ずいぶん長いことやってるね」
仙台にいても、こんな声が聞こえてくる。
ごく普通に暮らしていると、違う環境にいる人の事は見えないし、それは仕方がない。
台風被害の映像を見て思った。
実感がわかない
阪神大震災の時もそうだった。9・11の時も。
映画を見ているようだった。

食べるもの、住む場所がなんとかなったら、あとは自分でやってね。
・・・・って。
そりゃそうかもしれないけど。
だけど、家を失って仮設やアパートに入っても、それで終わりじゃないから。
この先どうなるんだろうと不安を抱えながら、もう半年すぎてしまった焦燥感。
2年なんてあっという間にすぎてしまう。
その先はどうしたらいいのかと、悩んで困っている。
仕事があればいいけど、仕事もなくて、どうしたらいいのか。
若くなく、かといって年金をもらう年齢でもなく、1人で暮らす不安やら・・・。
そういう人たちが毎日何と向き合っているのだろうと思うと、
服も日用品もありますね?ストーブもだいじょぶね?ハイさようなら、なんて言えない。思えない。

私は、被害を受けた「知っている場所」には、震災後行っていない。
野蒜も、荒浜も、松島も、、、。
反対に、支援に入っている、石巻、東松島、女川、山元町、岩沼、、、などは、震災前を知らない。
初めて行くのが壊された場所だった。
ここは本当はどういう場所だったのだろう。
想像しようとしても、できない。
お店があり、病院があり、家があり、学校があった。
役場も郵便局も、公共施設も。
壊れたあと、時間とともにがれきすら片づけられ、更地になりつつある。
町がなくなるってどういうことだろうと、そこに立ってボーッと考える。

被害を受けた人と、受けていない人の間に、ハッキリとした線がある。
むこうとこっち。こっちとむこう。
その線は消せない。
だけど、ちょっとだけピョンと飛び越える事はできる。
棒高跳びじゃない。
ゴム飛びほどでもない。
ただ、ほんのちょっとピョンと一歩跳ぶだけ。

支援とかなんとかっていうけど、「してあげている」のではないよ。
ただ、流れを作って回しているだけ。
たくさんの人の助けがあって、みんなこうして生きている。全員。
助けてもらったり、助けたり、それがみんなで生きるということ。
そんなの、震災があろうとなかろうと、関係ないじゃん。
転んだ人がいたら、大丈夫?って膝をさするのと同じこと。
私の体には、たくさんの人がさすってくれた優しい手のぬくもりが残っている。
だからみんなが手を使う。あなたも。私も。

私だけ葡萄食べてごめんね(笑)
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by kabo518 | 2011-09-23 18:38 | 震災・支援